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| 苅萱の関(二)(かるかやのせき) |
高野山の仏教説話や浄瑠璃(じょうるり)で有名な苅萱道心は、ここ太宰府の苅萱の関の関守だった加藤左衛門尉繁氏(かとうさえもんのじょうしげうじ)のことです。
繁氏が出家して僧となったのは、大宰府の苅萱で関守をしていた時、ふと目にした恐ろしい光景から、己の罪や業の深さを知ったからでした。繁氏には妻と娘ともう一人妾(そばめ)がいて、皆仲良く暮らしていました。しかし、幸せだと思っていたのは繁氏だけで、本当は、妻と妾はすさまじく憎みあっていました。偶然、襖の陰から見た二人の姿は、髪が蛇となって逆立ち、お互いに絡み合って争う二人の本心を写したものだったのです。繁氏は故郷と家族を捨て、ひとり高野山で仏道修行にはいり、苅萱道心と名乗りました。それから十数年がたったある日、繁氏は父を探して高野山をさまよう一人の男の子に会いました。話を聞いてみると、何と、その子はまぎれもなく我が子だったのです。妻は、繁氏が旅立ってまもなく男の子を産み、父と同じ石堂丸と名付けて育て、繁氏を探して一緒に高野山の麓まで来ているというのです。世を捨て仏門に入った繁氏は、いまさら父と名乗ることもできず、「知らない」と返事をして石堂丸を帰したのでした。ところがしばらくして、再び高野山の繁氏のもとに石堂丸が訪ねてきました。「前にお会いしてから麓に帰ってみると、待っているはずの母は長旅の疲れがたったて亡くなり、ひとり郷里太宰府へ帰ってみれば、待っているはずの姉も亡くなっていました。私は悲しみのあまり途方にくれ、思いあぐねた末、家族の菩提を弔おうと高野山のあなた様のもとを訪ねてまいりました」といいます。繁氏はこの邂逅に仏縁を感じずにはいられませんでした。哀れな我が子を弟子として迎え、父とは告げず、また石堂丸も父とは知らず、一生仏道修行をしたと伝えられています。
今、苅萱の関あたりには看板がたっていますが、そこは、石堂丸の姉・千代鶴姫の墓だといわれています。 |
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